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「希望の鶴プロジェクト」報告 |
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(社)宮古青年会議所
ひとづくり委員長 下地 盛智
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平良第一小学校、宮古青年会議所共同事業「希望の鶴プロジェクト」にて平一小学校よりお預かりした三千羽の折り鶴を6月21日(火)に岩手県宮古市の鍬ヶ崎小学校(笹川正校長)に届けて参りましたのでご報告させて頂きます。
朝、車からはみ出さんばかりの鶴をレンタカーに載せ、日本JC岩手ブロック協議会の佐々木会長、田村副会長の先導のもと盛岡を出発しました。山を越えるとすぐに宮古市でありますが、沿岸部の市街地までは2時間の道のりでした。途中、自衛隊のトラックや重機を載せたトラックが行き交うのを見て被災地が近くなっていることを感じました。
市街地に到着し、辺りを見回すと災害があったとは思えないほど人や車が行き交い活気のある町並みでした。「ここは被害が無かったところだな。」と思いましたが、気づくと町中の信号が消えていました。聞くとまだ停電中だとのこと。実はこの市街地にも2メートルを超える津波が押し寄せてきたそうです。よく見ると、倒れた鉄柱や一階部分が破壊された建物が点在しており津波の爪痕が残されていました。陸中宮古青年会議所の杉本理事長に迎えられ、JCの先輩のお寿司屋さん(志むら)にお邪魔して食事をしました。その店内に白い矢印がありました。それはちょうど2メートルの高さでありここまで水に浸かったという跡でした。「店内はメチャクチャで表には船がひっくり返っている状態でしたが、ここで営業を辞めたら津波に負けたことになる。」と営業をいち早く再開したそうです。「現状をしっかり見て宮古島の方に伝えて欲しい。」という言葉を頂き、私たちは目的地である鍬ヶ崎小学校に向かいました。途中、港の側を通りましたが、そこは言葉では言い表せない現状でした。ほとんどの建物は基礎だけしかなく、かろうじて残っていても二階までボロボロの状態で、傍には信じられないくらいの高さの瓦礫の山がありました。私はこの光景を見た時に小学校の子供たちにどんな言葉をかければ良いのか全く頭に浮かびませんでした。
小学校に到着すると体育館が避難所になっており、運動場も仮設住宅が建てられていました。しかし、惨状を見てショックを受けている私たちを迎えてくれたのは笑顔でしっかり挨拶をしてくれる子供たちの姿でした。校長先生とお話しさせて頂くと震災からの大変な思いを語ってくれました。3日間連絡も取れず学校に閉じ込められたこと、仮設住宅が建つ前に運動場で無理にでも運動会を行ったこと、そして今後の学校運営や生活に対しての不安など。しかし、その中にも前向きな言葉や子供たちに対する熱い気持ちを聞く事ができました。昼休みになり校長室に児童会長の髙岩優斗君と副会長の攝待成実さんが来ました。二人の顔は緊張しつつも子供らしい笑顔であり私も強張った気持ちからすごく温かな気持ちになりました。今回の趣旨を説明し、三千羽の鶴と平一小6年生から預かったメッセージ、そしてお土産に持って行った、みーやのマンゴークッキーを手渡し、遠く離れた宮古島にも熱い思いを持った小学生が沢山いること、落ち着いたら何年後でも良いから宮古島に来て欲しいことを伝えました。二人からはお礼と共に一日でも早い復興に自分たちも頑張っていくとの言葉をもらい目頭を熱くしました。そして何とも言えない気持ちで宮古市を後にしました。
次の日の朝、テレビのニュースで被災地の復興ポスターの紹介がされており見ていると、「心まで壊されてたまるか。」「失ったものもあるが得られたものもある。」などの文字が書かれていました。現地で会った方々が皆、そんな言葉を言っていた事を思い出し、普段ではありきたりな耳触りの良い言葉がすごくリアルに感じ、人間の本当の強さを実感すると同時に涙が込み上げてきて止まりませんでした。時間はかかるかもしれないけれど間違いなく町は復興する。そんな確信を得る事ができました。私ども宮古青年会議所ではどの様な形になるか分かりませんが今後も継続的に東日本大震災に対する支援活動を行って参る所存です。そしてその中で宮古島の子供たちにも助け合いの心や防災の意識を育んでもらえるように共に取り組んで行きたいと考えております。
最後に本プロジェクトにて児童会にお渡しした協力金は義援金と沖縄のJCで構成しているゆいまーる行動隊の支援金として振り込んで頂いた事を併せて報告させて頂き、平良第一小学校の子供たち、宮古青年会議所の会員、そして協力して頂いた全ての皆様に心から御礼を申し上げ報告とさせて頂きます。 |
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